居合の徒然に
戸山流の刀の振り方は、他流派と比較するとかなり大きな振りとなります。初めて御覧になる方には振り上げた斧(おの)を頭上から振り下ろすようなダイナミックさを感じることでしょう。
横から見ると遊園地の大観覧車を連想するような大きな円を描いていることに気が付きます。
基本的な教えとして「実戦(近代白兵戦)では、刀を振るおうとしても萎縮して小さな振りしか出来ない、普段から大きな振りをすることが肝要である」と言われております。

古流居合の場合は、長い歴史の中で培われた業(わざ)が活かされている事から、様々な状況を想定してあるので実に多くの形(かた)があります。
時に屋内にあって狭い日本間で低い天井と低い梁(はり)という状況では当然振りも小さくなり姿勢も多岐に渡ります。
また難しい姿勢から刀を抜き放つ業も併せ持つことから、古流居合には奥行きの深さと重厚な趣きがあります。
一方、古流居合とは異なる戸山流(旧日本陸軍戸山学校制定形)には別の趣きがあります。

戸山流の制定は大正14年、日露戦争を体験した後に旧日本陸軍の手により着手されました。
当時制定された「軍刀の操法」には、「如何に剣道を長く修行し熟達していても実戦では役に立たなかった」と回顧する文面が、冒頭の件(くだり)で出てくることに興味を覚えます。
補足までに、日露戦争当時の軍刀は西洋のサーベルを模した「半月刀」と呼ばれる刀でした。
これは、片手操作を主眼としていたために諸手操作ができにくい欠点がありました。
意外にも、半月刀は日露戦争後も使用されていて、諸手で使用できる日本刀が登場するのは、昭和十年頃と言われています。

上述のような経過により効果的な実戦刀法の精選が旧日本陸軍戸山学校で行なわれました。
軍事目的として要求されるのは古流のような多岐に渡る技(わざ)ではなく、簡潔にして確実な効果が得られる技であったと思われます。
従って戸山学校では主戦場を野外戦のみと想定し、しかも仮想敵を平均的な日本人の身長をはるかに上回る外国人に設定すれば、当然、斬撃の効果を計る上でも大きな振りが要求されたと推測されます。
また、突き技が多い事も戸山流の特徴と言えます。 仮想敵の想定が鉄帽を被り、防寒服を着用してその上から弾帯を肩から袈裟懸けに掛けているという状況であっては、白兵戦でわずか1mにも満たない軍刀を使用するならば、「斬り付け」よりも「刺突」に効果があった事は容易に想像できます。

このように、戸山流が古流居合と異なるところは近代の白兵戦を経験した結果、日本刀を用いて十分効果する刀法の研究により生まれているという点であり、精選した七種類の形(かた)にそれを集約した事は、武術という視点よりも軍事技術という側面から見れば、実に明快でシンプルな造りになっていると言えます。
それはまるで古流居合が、浮雲の彼方(かなた)に見る月影を朗々と詠(うた)う叙情詩とすれば、戸山流は簡潔な文体に思いを込める漢詩にも似た感があります。

面白いことに戸山流が生まれる以前にも類例があります。

明治時代の西南戦争で警視庁抜刀隊なる部隊が政府軍として九州に派遣され、西郷軍に対して獅子奮迅の働きをしたことは有名ですが、この後に警視流居合制定形なるものが制定されて現在も警察関係者へ受け継がれています(この後に大日本剣道形が制定され、現在の日本剣道形へと遷移していきます)。
過去の近代日本において、日本刀での戦いを実戦で経験する事によりその効果を検証して、次の戦いに備えようとした歴史があったことは、現在の私達が剣道史を紐解く上で興味ある出来事と言えます。
形の稽古にどんな意味があるのかという問いを頂く事があります。
実は私自身、この意味を求めて長く彷徨(さまよ)っておりました。
今回は、「形(かた)」をテーマに考えて見たいと思います。

柔道や剣道、空手、合気道や杖道、弓道、居合道など多くの武道には形(かた)があります。
決められた形を幾度も繰り返す事に現代人は些(いささ)か退屈な思いを抱かれるかもしれません。
形とは武道の基本であると言われてもピンと来ないのが普通だと思います。
良く皆さんが目にする柔道や剣道の姿は実際の試合形式の部分が殆どで形という稽古の手法がある事に気が付く人は少ないことでしょう。

形の稽古とは、率直に申し上げれば自分の内面を見つめる稽古をいいます。
禅の世界にも「内観」という言葉がありますが、まさに形を通して「身の内の心」を自身で垣間見ることになります。それは肩書きに彩(いろど)られた自分でもなく、会社や家庭で普通の顔をしている自分よりも異なる無垢(むく)の自分に出会う事になります。
そして無垢の自分とは、こんなにも弱いのかという事に気付くのです。

したがって形の稽古とは人を相手に自らの技術を対戦という試合の形態で駆使することとは基本的に異なります。
内面を見つめない形は単に技のテンプレートでしかありません。
武道の稽古には、古来から形の稽古で自らの内面を練磨し、試合という形態で対戦技術(いわば外面の技術)を練るという二つの構造から出来ていたと私は考えています。
具体的に居合道の場合を例にとってお話を進めたいと思います。

居合道で行なう形とは、刀の抜き付け(初発刀)から始まり斬り付けの後に残心を示しながら納刀して辞去するまでの一連の動きを「静」から「動」、「動」から「静」の順を追いながら行ないます。 初めて形を行なう時にはギクシャクしてしまい身体がうまく動きません。
同じ形を何回も、やがて何百回も繰り返すうちに「力み」が消え、「無駄な動作」が消えていきます。
そして何時しか頭で考えるよりも先に身体が反応するという身体動作を得る事になります。
もちろん、この事が身を守りそして速い技を繰り出す実戦に必要な要件へと繋がる事は御理解いただけると思います。

形の稽古では、外見的に同じ形を反復しているように見えますが、回を重ねるたびに少しずつ新たな気付きがあります。その気付きに導かれるように試行錯誤をしていくと時間は掛かりますが、やがて自らの欠点が解消され、それはまるで彫刻家が荒彫りから少しずつ仕上げていく段階にも似て精度が向上していきます。
形の試合では、相手は見えず、聞こえる音は自分が振る刀の音だけの静寂のなかで演舞する事になります。 周囲の人達は遠巻きにこちらを見ているだけです。これは正直なところかなりの精神的なプレッシャーとなりますが、ここで自分の弱さが自得できるのです。初めのうちは両腕に力が入り身体の震えが刀の振動となって現れます。呼吸すら満足に出来ずひたすら息を止めた状態になることもあります。
胸の高鳴りを気にしながらも懸命に演舞に集中を繰り返し、何回も苦(にが)い試合を重ねるうちに肩の力が抜け精神的なプレッシャーよりも肝が据わったような安定感を感じる自分に気が付きます。

形の稽古の成果とは端的に言えば「精神的なプレッシャーを克服する力を身に付ける」事と、無駄のない確実な動作と伴に、「考える」というタイムラグを持たない「身体の反応」へ質的な転化を図る事の二つが上げられます。
形とは即(すなわ)ち、習熟しようとする人の求めに応じた気付きを与え、単純な動作でも繰り返す事の大事さを教えてくれるものなのです。

神戸女学院大学 文学部の内田 樹(たつる)先生という方がおられます。
御自身も武道家であり「形」の意味を論文として発表されています。
「木人花鳥ー武道的身体論」(1996年12月)には、それまで私自身が答えを欲していた「形の意味」の解がありました。この解を得たときは居合を始めて5年が過ぎていましたが私にとって大きな発見だったと感謝しております。

形は武道だけに限らず、舞踊や歌舞伎、茶道など日本の文化を代表する道統には欠かせないものです。
形を修めた方に出会うと、その所作や言動に威厳と落ち着きを感じます。その独特な雰囲気もまた形が成し得る業(わざ)と考えています。 その意味で先人達の英知に驚くと同時に、これらを次の日本の世代へ受け継ぐ必要性を感じ入る次第です。
居合道の試合を見たことがある人は稀(まれ)だと思います。
そこで今回は居合道の試合をご紹介します。
戸山流の試合は、3人の審判(主審1名、副審2名)の前で演武者2名が指定された3本の形(かた)を演じます。
審判は演武者のどちらが良かったか、正確さ、落ち着きなどの評価により判定を下します。

戸山流居合道の試合は、そう多くありません。
毎年1回、春の県大会、秋の九州大会、3年毎の全国大会(秋季)のみです。
試合は一つの目標として大事にしております。なぜならそこは多くの自己反省ができる場であるからです。
普段の練習とは異なる緊張感の中で、自分の実力をどれだけ発揮できるかがテーマとなります。
勝負の勝ち負けは、結果として得られるものであって、それが全てではありません。
負けたことにより初めて得られる気付きもあります、勝っても決して喜べない場合もあります。
それは相対評価として自分の方に優位があったかもしれないが、自分自身の評価としては十分でなかったという場合です。
  つまり負けて反省をし勝っても反省をするために私達は、試合をするのです。

試合が終わると、その日の夜は宴会です。楽しい宴会です。

 試合場から引き摺って来ているそれぞれの思いを取り敢えず心に留めて酒を飲み談笑に花を咲かせます。そして次の練習日からは、得られた反省点を思慮に加えながら再び稽古に励む日々を送るのです。

毎年3月になると北九州市戸畑区の北九州市総合体育館で全日本剣道連盟主催の居合道「北九州大会」が開催されています。
毎年600人程の剣士が全国から集まり、修練を重ねた全剣連制定居合や美しい古流居合を見ることができます。

不思議なことでは無いのかも知れませんが、美しい居合を見せる方は試合が始まる直前に行なう礼法の所作でわかります。
特に試合が始まる前の立ち姿には訓練された背筋の伸びと十分に脱力をした上体に修行の深さを偲ばせ、静止し続けている姿と落ち着いた表情には、これから見せる演武を容易に予測させる雰囲気を感じ取ることができます。

居合道の試合は、剣道や柔道などと比べると静かな試合です。
決勝戦あたりになると観客さえも言葉を発せず、目を閉じると深い竹林の中にいるような静けさを感じるほどです。
その静けさの中で剣士達は、外見の落ち着きからは拝察できないほどに激しく自分自身と戦っているのです。
居合道に入門したばかりの頃、力任せに刀を振ろうとする私の姿を見たA先生が簡潔に「居合はエレガントに刀を振りなさい」と言われました。居合道という武道とエレガントという響きに違和感を抱きながら、その意味を計りかねて頭の中は???で一杯でした。
注意を下さったA先生は古流も長く経験されていることもあり、美しい居合を抜かれます。
長い月日が過ぎてもエレガントの意味がわからず、その方法さえ見出せないある日、何度か拝見したA先生の演武を撮ったビデオを何回も繰り返して眺めていた時に突然それまでの疑問が氷解したのです。

A先生の演武は、とても早く刀を振っているように見えたのですが、実は良く見ると御本人はゆっくりと力み無く振っているのでした。
それは決して小じんまりとコンパクトに纏めた形(かた)ではなく豪快とも言えるべき戸山流の大きな形(かた)だったのです。

それでは何故そんなことが可能になるのかという点に着眼していくと、形(かた)の動作に無駄が無く最短の時間で的確に身体が動いているという点が明らかになってきたのです。
無駄な動作とは形(かた)の中で敵を認識する、静かに鍔元へ右手を添える、鯉口を切りながら抜刀して、斬り付け、納刀後その場を辞去するまでに動作の細部に生じ易い必要以上に時間が掛かる身体の動きを言います。
それは体幹と一致しない腕の振り、手首や肘の関節の多すぎる動き、肩や腰のブレ、身体全体の上下動や揺ら ぎなど多岐に渡ります。
つまり、これらの無駄に着目して取り除いていくと身体動作は速い動作へ繋がる事が見えて来たのです。

この無駄の無い動きこそが、力に頼らない動きとなり見た目にシャープで機能美とも言える表現力を持つと理解出来た時に、やっとエレガントの意味がわかったような気がしました。
この事から形の動作で見られる各所の力みとは即ち力を貯めようとする動きですが、この僅かな時間さえも顕(あらわ)にしない事が居合には求められるということに気付いたのです。

更には力まない動作が最終的には自分の気配を消すということをも知るに至りました。
それが結果的に居合の本質である「相手に(こちらが気付いているという事を)悟られない事」と「最短の時間で対処する事」という原点であることを改めて教えられたのです。

敵を認識する時に現われやすい表情や身体の僅かな部分の反応による動きが見られると敵にもそれが伝わります。居合の妙とするところは、この刹那にあって敵の攻撃意志を認識しながらも表情に出さず反応を示さないという点にあります。
つまり相手の攻撃意志に即時反応する事は、犬猫の喧嘩と同じで例え僅かでも「反応をしめす」事が争いの始点となる事を知っておく必要があります。
その為にも、接敵に際しては間合いを充分に取る事も考慮しなければなりません。

また敵が攻撃の意志を無くす僅かな可能性も、その反応する事により自ら壊すことの自戒をしつつ敵を十分に油断させて近間の間合いに相手を引き込むという二律背反する状況を制御する事こそ「鞘の内」といわれる居合の最大の妙味と言えるでしょう。

自らを守るに必要な限界点を超えてなお敵の攻撃意志にひるみが無い場合、その時こそ が最短で対処すべき時として備える居合の有様は、それまで居合は「寄らば斬る」を前提と勘違いしていた私にはとても新鮮でした。

 A先生が御覧になった私の姿とは多分、抜刀する前から「斬るぞ」という雰囲気に満ち満ちていて、そんなことでは逆に「斬られるぞ」と感じられたに違いなく今でも思い出すたびに赤面新たにしております。

この無駄な動作を無くす事は簡単ではありません。形(かた)がある程度身に付くと固定化してしまう傾向があるからです。身につけた形(かた)を常に自身でチェックして無駄を取り除く事を日常の稽古で実現するためには、現在の自分がどの様な動きをしているかを承知する必要があります。
多くの先生からアドバイスを頂いたりビデオカメラで自分自身の演舞を撮影してみるなどの分析をしなければなりません。そして何処かを良くする為に動きを変えると、それまでの全体のリズムを暫くの間崩してしまうことになるのですが、これを怯(ひる)まずに繰り返す事で少しずつ変化が実感できるようになるのです。

ビデオカメラなど無かった昔の居合道の先人達は、満月の明るい夜に自分の動作を影に映して姿勢の修正を行なっていたそうです。 
それ程に形(かた)とは常に自らの自省の中にあって刀を研ぎ澄ますように洗練されていたと思われます。

未だに私自身未熟ながら、形(かた)を錬成するという事は無駄な動作を消していくという観点がなければ力を抜く意味を無くし、力み が消えることは即ち自らの気配を消すという点を知るに至らないという事に注意しなければなりません。

更に言葉を続ければ、無駄な動きを消して自分の気配を悟られない ために「居合腰」という姿勢が必要になるという新たな気付きに繋がるのです。

私が未だ居合道に入門する前の事です。
たまにしか釣れない下手な渓流釣りをしていた頃があります。 釣れない釣り師は誰でもそうであるように、なぜ釣れないのかと思案するのですが理由がわかりません。本人はまるでネズミを取る猫のように最新の注意を払いながら川面に近づき、いかなる音をも立てないように静かにキャスティングしつつ、ライズ(波紋)のある部分へ毛針を送りこむと、ヤマメは川底からすーっと捕食の為に水面へ上がってくるのですが、途中からクルリと反転して元の川底へ 戻っていくのです。

少し離れて私を見ていた釣りの師匠のところへ戻り、この事を話して「毛針が見破られているようですね」と感想をいうと、師匠は黙って暫くの間水面を眺めた後で、私が使っていた毛針とロッド(さお)を手にすると、私が釣ろうとしていた場所へ移動して数回キャスティングの後に、見事に先ほどの川底に定位していたヤマメを 釣り上げたのでした。

師匠は川石に腰をおろし、ゆるりとタバコに火をつけ川面を見ながら私にこう言ったのです「人の気配は消さんといかんな」。

居合道に入門して渓流釣りから少し遠ざかり、上述の話も忘れかけていた頃、ある山村の奥地に住む友人に「深夜に森の中で一人で座禅を組む修行をすれば、森の樹木の気をある程度感じる事ができるかもしれない」と半ば本気でメールをしたところ、こんな返事が返ってきました。
「気は感じてはいけない、気は読むもので感じれば身体に反応がでる。対人関係で苦手な相手が近づくと、相手にもそれが分かる。なぜなら相手の気を感じて苦手であるという反応を自然にしてしまうからだ。
だけど相手の気を読むのなら反応は出ない」。

その友人は武道にはまるで縁もなく、ただひたすら山村で暮らしているだけです。
蜂が自分の顔の周りを飛んでも特に気にする訳でも なく、蛇が近くに現われても水が流れているくらいにしか思わない、そんな男です。
自然の中で生活しているからこそ得られる当たり前の対処といえばそうなのですが、前述の釣りのエピソードを思い出しつつ友人は自然な居合をしていると思っています。

刀を持たなくても自然の中に生きている人たちの中には、こうした居合の達人がいることを思い起こしております。
あの時、水面下のヤマメは、きっと私の「釣るぞ」という強い気配を十分に感じ取っていたのでしょう、水の中でピンクパールの魚体を光らせながら「マダマダだね」とつぶやいていたかもしれません。

いつか何処かでこの「居合腰(いあいごし)」をテーマにお話をしたいと考えていました。
ただ、このテーマはあまりにも奥深く、私自身が未だ入り口に佇(たたず)んでいて試行錯誤を繰り返している事から十分にお伝えできないかもしれない不安と、自分の体感を第3者の方に伝える事の難しさを併せて感じていました。
これからお話しする内容は未だボンヤリとしか見えないこの答えを求めながら居合道をするにあたり避けては通れないこの姿勢について今私が分かっている範囲で御紹介を試みるものです。

「居合腰」は、居合道に入門すると最初に教わる姿勢です、よく「腰を落としなさい」、「刀は腰で振るのだ、その為には腰が安定しなければならない」と言われます。
聞く者の立場としては「なるほど」と思うのですが、「それではどうすれば良いのですか?」という問いには「自然体となるのです」と言われ、「上体の力を抜いて膝を緩めるのです」と聞かされるのはここまでで、あとは自分で考えなさいと突き放される事になります。
さてここからが試行錯誤の始まりです。

言われただけの姿勢を自分なりに作っても、普段直立歩行が当たり前の私には返って不自由に思えてなりませんでした。
ただ実感するのは、確かに下半身が安定するような感じはそれとなくするのですが、この姿勢を保った状態で形(かた)の動作をすると上手く刀が振れず、ついつい居合腰を忘れて意識は刀の振りばかりに向くようになっていました。
この居合腰という言葉を教わりながら頭の中の隅っこに追いやって刀の振りの事ばかり考えている時に、刀を振りかぶりから振り下ろす間に制御すべき「体重の移動」という壁にぶつかる事になったのです。

刀を大きく振ろうとすればするほど必ず直面する問題です。
それは、刀の振りに上半身と下半身のバランスが取りずらく、下半身が不安定となり上半身は刀に振らされているといった状態でした。
下半身の不安定さとは、左足が極端に左方向を向いてしまう「撞木足(しゅもくあし)」になったり、刀を振り下ろす時に上体の前進につられて左足の踵(かかと)が浮いてしまったりしていました。
上半身は、振り下ろした刀を止めようとして急ブレーキを掛けたように前のめりになり、下半身の不安定も手伝って振り下ろした刀が静止せず、その静止を急ごうとする余りに両腕に力を込めるといった有様でした。

今思えば「なっちゃあいなかった」訳ですが、流石(さすが)に堪(たま)り兼ねて多くの先生に指導を請いました。その中で一人の先生が「相撲の蹲踞(そんきょ)の姿勢が基本なんだよな」と言われ、何回か相撲の蹲踞をやってみるのですが余計に分からなくなってしまいました。
ただそれから頭の中には「体重移動と蹲踞」という言葉だけは残り続けました。そんなある日知人である合気道のB先生と雑談していた時に「合気道の有段者が袴を履くのはどうしてですか?」と私が聞くと「合気道は、脱力しながら回転を利用して大きい相手でも投げる事ができるのだけどそれは足の裁きと腰の使い方がポイントなんだ、それを外部から見えないようにしている」と言われます。

小柄なB先生が稽古している様を見ると大きな相手でもスムースに投げるのですが、巨漢を相手でも先生の上体は直立して、なおかつ腰の高さに高低が無く見るからに安定した動作で軽やかに投げる姿を見れば体重の移動は下半身で制御されているという点に気付きました。
それを見てもう一度「居合腰」と「蹲踞」を考え直して、自分の体重をそれまで両足の全底面に掛けていたのを、両足の親指の根元集中させると意外にもスムースに動けるようになり、膝を軽く緩める事を合わせると全身の重み(刀の重みも含めて)が足元に降りてくることが体感できるようになったのです。

その発見は私にとって大きな驚きだったのですが、体の重みを下半身に集めるには上半身から下半身までの関節をほんの少しだけ緩める事と可能な限り脱力することがポイントだということに理解が深まりました。
確かに、この体感を軸に刀を振ると以前の自分とは大きく異なることが実感できるようになりました。

 今でも脱力という部分では「なっていない」と私自身の課題なのですが、ここではもう一つの発見があったのです、それは、脱力に徹すれば刀を握れず、振れなくなるという矛盾でした。
この「脱力」には小指というキーワードが出てくるのですが、その部分は「第七話」でお話したいと思います。

さて私はここでやっと冒頭の居合腰の意味が、相撲の「蹲踞」と合気道の「袴の意味」で少しばかり理解できることに至ったわけですが、これは未だ入り口でしかないのでした、それは関節を程よく緩めながら力まず、形(かた)を流れるように表現するということは、それでも十分に難しいということでした。

そしてありふれた事のようですが、最終的には「足腰を鍛える」事が大事であるという原点に立たされてしまったのです。
なぜなら居合腰とは本来形(かた)を演ずるためにあるのではなく、戦いの中で常に保ち続けなければならない姿勢であるからです。
その為に居合腰で自由に軽々と身の動きを務めなくてはなりません。
極端なことを言えば居合腰のままで何キロも歩けるような強靭さが必要とされるのです。

これに関連して膝の緩め方については今も考え続けています、それは膝を緩めすぎると歩きずらく、また自分が居合腰になっていることを膝が突き出ることにより相手に示してしまうため、これを目立たなくする様にするということも意識しなければならないのです。
それにはジョギングやウォーキングが膝の関節の具合や、体重の係り具合を実感するのに良いトレーニングになることが分かりました。
それからは日課として一日3kmジョギングをした後直ぐに同じコースを歩き、計6km足腰を動かしながらひたすら考える毎日を送っています。

数年ほど前の事でしたが、蹲踞のお話を下さった先生から「お前は普段どんなトレーニングをしているか?」と問われたことがあります。
その頃全国大会を半年前にしていた頃でしたので、できるだけ試合中に呼吸の乱れを出さないことを目的に時々ジョギングをしていました。それで「時々時間があるときに走るようにしています」と答えると、先生はニコリと笑いながら「時間が無くても走れ」と言われたのです。
結局この言葉が私に居合腰を知らしめる言葉になりました。

稽古の時には、必ず素振りから始まります。
 大きくゆっくりと振ることを心掛けながら手元から腕、腰、足の動きを一つ一つ点検するように刀を振ります。
  ゆっくり振るのは意外に思われるかもしれませんが、剣道の素振りと比較しても未だ十分に遅い速度で振りながら歩を進めていきます。

正しい振りが出来ているかどうかは、刀が空を斬るときに発する太刀風(たちかぜ)の音で分かります。
うまく振れているときならば後頭部から起こる太刀風の音が「ヒュー」と長く尾を引きながら刀が停止するまで続きます。うまく振れていないときは音がしないか、「ピュン」という短い音しかしません。
初心者の内は、指導される先生からこの太刀風の音と刀の振り方について必ず指導を受けるのですが、なかなか直ぐには実現できず、その太刀風を求めて何百、何千回も空を斬ることばかり続けていると、その中の幾度かに「ヒュー」と尾を引く音が実感できるようになります。

上級者の先生方を眺め、ゆっくりとした刀の振りでも十分な太刀風を立てるのを見て「どうすれば、ゆっくり振ってもそんな音がでるのですか?」と伺うと「刀が教えてくれるよ」とだけ教えてくれます。
その言葉を信じて長い月日を費やしながら振り続けていると、なんとか太刀風がそれらしく聞こえてくる様になるのですが、それでも上級者の先生方のようにはいきません。
「どこが違うのだろう?」と考えてみれば、上級者の方には無い「力み(りきみ)」の存在がその理由のように思えてきたのです。

居合で使用する刀は、重量が約1kg前後で長さが平均2尺3寸5分(刃の部分だけで約72cm)くらいの大きさなのですが、これらを物理的に持ち上げて振るという動作の中に「力まない」のは不思議にさえ覚えたものです。そこには第六話でお話をした「居合腰」の姿勢と初心者が最初に教わりながらつい忘れてしま いやすい日本刀の握り方(手の内といいます)に理由がありました。

上半身の脱力が体の重みを下半身に集中させることを目的として、そのために体の関節を少しばかり緩める必要があるということを第六話でお話しましたが、単なる脱力だけでは刀を振ることが出来ないことも同時に気が付きました。
そして力まずに刀を振るポイントが小指にあることを発見したのです。

小指の役割は、よく人の話からその重要であることは聞いて居りましたが、実感はありませんでした。
私などは普段の生活の中で小指の存在を実感することなど皆無に近く、せいぜいパソコンのキーボードを打つときに「ENTERKEY」を小指で打つ時位にしか意識をしたことはありませんでした。
ゴルフをなさる方は、この点よく御理解頂けると思いますが小指の締りは、人の筋肉の中でも内側の筋肉を使う事から、外側の筋肉を使おうとする力みを必要としなくても十分に締め付ける事ができるのです。

「手の内」と言う言葉は、制御し得る範疇にあることの意として現在使われていますが、本来は刀を握る時の心得からでたものです。
この「手の内」を正しく理解して刀を振ることが肝要となると聞かされていたのですが、その理解の糸口が右手と左手の小指の使い方にあるという気付きにようやく至ることができた訳です。

初心者が何とか力みながらも太刀風を起こすようになるのは多くの場合、その手の内の状態が右手が主となり左手が従となっています。
この場合は小指の意識がそれ程なくても、力みさえすれば太刀風を立てることは可能です。
それでは上級者はそれをどのようにしているかというと、「手の内」の感覚が逆なのです。
即ち左手が主で右手が従となり、左手の小指と薬指そして右手の小指が程よく締まる事で大きな振りが制御されています。
     したがって他の指は刀を静止させる時以外に振りの中で機能する事は殆どありません。

この手の内に関する解釈は流派によっても異なりますし、意見の分かれる部分も多いこととは思いますが、あくまでもこれらは私自身の実体験に基ずくものです。
この事に気が付いて以来、左手を主として意識しながら刀を振ると、それまでの力みを必要とせず太刀風の音もそれまでよりももっとしっかり聞こえるようになりました。

古流の柔術や杖術でも小指の役割は重要視されていますが、現代の私達が便利な道具を使うことに慣れてしまって、小指の存在を忘れていることに私自身改めて気が付かされた思いをしております。

子供達に刀を持たせると目がキラキラと輝いてうれしそうに見えるのは不思議ですね。
私達が幼い頃に良く遊んでいたチャンバラごっこの時の気持ちが蘇えるような気がします。
もうひとつ不思議なことは特に刀の持ち方を教えていなくても、彼らは右手で鍔元を握り、左手で柄頭を握り正眼に構えようとすることです。
そんな時の彼らの顔はキリリと引き締まっていい顔になっています。

現代は、テレビやビデオ、DVDなど沢山のメディアが氾濫しています。
刀の握りも無意識のうちに彼らの心の中に残る映像がそうさせているのかもしれません。少なからず子供達はこれらのメディアの洪水の中で生活することを余儀なくされているのですが、彼らの心の中に残る作品とはどのようなものでしょうか?

叶うことならば、血や暴力や汚れた言葉に塗(まみ)れた映像を彼らの心の内に残して欲しいと思いません、「そんなの古いよ」と笑われるかもしれませんが鳥や犬や猫など小さな命を労わり道具を大切に使い、植物に生命の息吹を感じながら少しの困難でも口を一文字に結んで堪えようとする、そんな作品を多く心に残して欲しいと願っています。

子供達に居合を教えていて感じることは、彼らが知らぬ間に私達の真似をしているという事です。
道場に入るとき、大人が一礼して入る姿を見て彼らも真似して幼い礼を行ないます。
道場という異質の空間に彼らは何かしら不思議さを感じているようにも思えます。
そんなときの彼らは、日頃の小悪魔ぶりが消えて純真無垢な天使に変身しています。
あるとき道場の入り口で一人のお母さんが、雑多に入り混じった玄関の下足を一足一足きれいに整頓して並べておられました、すると後から来た少年が一瞬の戸惑いを見せながらも、そのお母さんの整頓にならって自分の靴を自分で並べたのでした。

何気ない光景かもしれませんが、これが新鮮に映るのが現代です。私も新聞やニュースを見聞きしながら日々心を痛める人たちの一人ですが、世の中を少しでも良くするために誰にでも簡単に出来ることがあります。
それは誰かを非難することでもなく、悲観して絶望することでもありません。
それは単に私達大人が子供達の視線を背中で感じて行動する事です。
今の子供達が「返事ができない」とか「挨拶ができない」とか「公共の意識が足りない」とか言われますが、それはやはり大人の行動を彼らが反映している所以(ゆえん)に他ならないと思われます。

大人の行動を見守る子供達の視線は公平でしかも純粋な正義感に溢れています。
だから横断歩道を渡るときでも「信号を律儀に守るのは日本人くらいだ」とか言って赤信号を平気で渡るのでは無く、他の人がつられて渡っていても毅然と立ち続けているあなたを子供達は見ています。
もし子供の一人から「みんな信号が赤でも渡っているのに、どうしておじさん(お兄さん?)は渡らないの?」と聞かれたら何も言わず、ただ微笑みだけを返してあげて下さい。それだけで子供達は十分に理解してくれる事でしょう。

信号が青に変わり胸を張って一歩を踏み出すあなたの後姿を子供達は、長くその心に留めてくれると思います。
あなたの後姿が宮崎駿監督の「となりのトトロ」や「風の谷のナウシカ」のようなアニメーションの主人公達で一杯になっている彼らの心の引き出しの中にあるとするなら素敵ではありませんか。

戸山流居合道は、その源を大正14年に旧日本陸軍戸山学校で制定された「戸山流居合術」としている事は、既にこのホームページの「戸山流とは」のコーナーで説明している通りです。

私は、この「戸山流居合術」が編纂された過程の中で一人の人物に興味を持っております。
現時点では憶測も含めた上での事ですが、多分この人が明治初期から陸軍軍刀として採用されていた西洋式サーベルが日本人には馴染まない事を実戦経験の中で発見し、日本刀を軍刀へ改めるべく運動された人達の中の一人ではないかと考えております。

その人の名前は「津田教修」といいます。以下は久留米市史誌資料より抜粋。

久留米藩の御家流「津田一伝流」の初代師範津田正之の長男として現在の久留米市日吉町に生まれたのは嘉永3年(1850年)でした。
その後慶応3年に御近侍槍組となり、明治5年に津田一伝流2代目師範となりました。
明治8年陸軍兵学寮(戸山学校の前身)に入り、明治9年少尉試補に任官、明治10年西南の役に政府軍として従軍、明治21年歩兵大尉、明治25年(1892年)陸軍戸山学校教官体操科長。

日清戦争では第一師団歩兵第2連隊中隊長として出征、和尚山占領のとき国旗の代わりに敵の血をハンカチに染めて日章旗としたことで有名となり、当時の軍歌に「奇知に富たる津田大尉、敵の屍骸の血潮もて、即座に染出す日章旗....」と詠われました。
勲四等・功五級をこのとき叙勲、後の日露戦争では第24連隊長として遼東方面に派遣され、功四級を下賜されています。
明治40年3月没。

彼が戸山学校の教官時代に「諸手軍刀術」というものを創案している事実があります。
これが大正14年に制定された「戸山流居合術」にどの程度影響したかについては更に詳しい資料を待つ必要がありますが、それを感じさせる文章が今も存在しています。
武人としての彼の気概が伝わるような碑(いしぶみ)は、現在の久留米市の久留米城址の一角にある篠山神社に父の正之氏の碑にならんで建立(明治43年10月)されていて、その碑には現代語で訳すると下記の意味の言葉が記されております。

「日本の建国は武力によってなされ、宝剣が三種の神器のひとつになっている。
先帝が国内を平定し国家永遠の基礎を樹立されたのも剣の力によるものであり、まことに剣の用は大なるものである。
しかし今や兵法が一変し、兵器はその発達を競い合い、数里離れた敵を撃破する巨砲がある一方では、百歩前の近い敵を殺傷する小銃があり、遠射、連発自在である。またさらに、性能の良い綿火薬を用いる榴弾が作成されていよいよ利用は増え、もはや剣の用途は無くなったかに見える。
しかし敵味方が接近して白兵戦になったときは剣にたよるほか無く、ここに我国の剣道が尊重される理由があり、日本の兵力が他国に卓越しているのもここにある。

明治以来、万事が激しい改革と進歩を遂げ、軍事に於いても西洋を模範とし、日本と西洋のものとの長所・短所の比較研究もせず、ついに剣を銃に替えようとする意見が出るようになった。
ちょうどこの頃、津田君は陸軍に奉職していたが、古来の剣の伝統が廃(すた)れ、このため士気もくじけてゆくのを心配し、堂々と正論をもって抗議し、剣道を維持するためにあらゆる努力を払ったのである。

ついに政府でも陸軍剣術教範を作成することになったが、 これにはもちろん君の力が大きく与っているのである。
日清・日露が相次いで起きたとき、君は常に部隊の長としてしばしば戦功を挙げ、椅子山・二台子の戦闘はもっとも良く世間に知れていることである。これも君が剣道に熟練していたために、電光石火の早業で敵将を斬って旗を奪い、敵の心をふるえあがらせ、士気を喪失させたことによって得られた功績である。
中国の荘周(戦国時代の思想家)の言葉に「この剣を一度用いれば雷の震動するようである」というのがあるが、これは君について言ったものではないだろうか。

君は名を教修といい、遂退先生の長男である。早くから令名高く、家門の名声をおとすようなことがなかった。津田一伝流の2世師範となり、のち陸軍に入って歩兵中佐連隊長に昇進した。
この間、両度の戦役の功によって従五位勲四等功四級に叙せられた。
君は大陸において凍河を騎馬で渡る途中、転倒して受けた傷のため退役を命ぜられ、帰郷して養生していたが、明治40年3月13日死去した。 享年58歳であった。超えて43年10月、門人や旧友が君の功績を顕彰するために篠山神社裏の丘に碑を建てた。
思うに「義勇奉公」は日本男子の本文であり、仮にもこの威力を海外にあきらかにしようと思うならば、剣道の素養がなければならない。この碑を見れば顧みて自己の模範とすべきものを見出すであろう」

居合道は形(かた)の武道です。入門者は一つの形の意味を正確に理解して、その動きを正確に体現すべく時間を費やして修練していきます。
これは戸山流だけではなく全剣連居合制定形をはじめ、どの流派でも行なっている事です。
これを書道のそれに例えるとするなら楷書と呼ばれる崩しのない正確な字体を書き表すことに似ています。
筆の流すべきところは流し、止めるべきところは止め、跳ねるべきところは跳ねる。
そうすることで少しでも楷書手本に近付くように修練するのが書道楷書の行と呼ばれる正確さと揺らぎの無さを求める一つの階梯のように捉えることができると思います。

楷書の次の階梯は草書と呼ばれる崩しの世界です。
草書は楷書を理解してこそ可能となる芸術的な世界とも言えますし、その域に達した人のみが成し得るその人の個性を闊達に表現できる世界とも言えます。
いわゆる楷書のそれとは異なり、誰も真似の出来ない唯一無二の書をそこで表現するという高い次元といっても過言ではありません。

居合も同様な世界があります。戸山流居合道では五段以上を高段と呼び、4段以下を低段と呼びます。
低段では、前述のとおり書道で言えば楷書の世界となり、正確な形(かた)を表現することを追求します。
戸山流居合道では、五段を取得するまでに少なくとも8年の年月を必要とするのですが、この期間に正確に楷書を表現する力を蓄えるのです。
そして五段以上になると、それまでに培った基本を元にしてその人それぞれの個性に応じた業を表現する形(かた)に変化していくのです。

この有様を理解しなければ時として混乱を招くことがあります。それは低段者が高段者の姿を見て直ぐに真似をしようとするところに多く見られます。
ここまで読んで来られた方にはその訳が分かると思いますが楷書という階梯を超えていない段階で草書を真似するようなもので、崩しが崩落となってしまうケースです。
高段者を参考にするには、その前に自己の基盤を確立することを優先しなければなりません。

古来から武道には「守破離」と呼ばれる言葉があります。特に剣道界では今でも重んぜられている言葉ですが、これは修行の過程を表しております。
ひとつに学びの入り口に立ったものは謙虚にそれを受け止め正しく理解することに努め、ある過程に達すればそこから自己の個性を意識し、そして更に時を紡ぎながら自己の個性から発するものを編み出していくという教えをこの三つの文字は伝えています。

「守なきなれば離ならず」であり「楷書をなくして草書なし」は、居合道でも同様です。
即ち個性とは、その基本が確立されて輝くものであり、人の道もまさにその習いに沿う ものと考えております。

2001年1月の寒い日でした、彼はホームステイしている日本人家族に連れられて大刀洗支部の道場へやって来ました。
彼の名前はジョセフ・ヨーグル君、当時19歳の アメリカ人です。

2000年の春から小郡市のロータリークラブの交換留学生として福岡県立小郡高校に留学していました。

私達は突然のことで驚きましたが、当時の大刀洗支部長だったM先生と小郡市 ロータリークラブの方が知人同士だった関係から、一度日本刀や居合道を見せてあげよう。そんな話になったようです。

彼は長身ながら痩せていて寒さが辛そうに見えました。
厚手のジャンパーに毛糸の帽子とマフラーでぐるぐる巻きになりながら背を丸めて私達の稽古を眺めていました。

私達の稽古風景を最初は緊張した面持ちで彼は眺めていましたが、しばらくすると彼の目が明るく輝いていることに気が付きました。
そこで居合刀(刃の付いていない安全な刀)を持たせ、日本刀の握り方や振り方などをレクチャーしてみるとなかなか素直に受け止めてくれます。
先程までの凍えていた彼は、そのとき既にジャンパーも毛糸の帽子もマフラーも脱いでいて、興味を覚えた子供のように目を明るく輝かせるアメリカ人独特の表情に変わっていたのでした。

その日の内に彼は入門を決心して、その2週間後には道具の全てをあつらえていました。
袴には同級生から茶目っ気で教えてもらった「城 夜豪」という日本名が刺繍されていました。
アメリカ本国の両親に、居合を始めたことを電話で告げると大変驚いた御様子だったそうです。

後に御両親へ彼の練習風景をビデオに撮って送ったところ、「本当の日本人になったみたいね、表情が引き締まっていて、アメリカにいた頃のお前とは思えない」とお母さんはおっしゃったとか。
本人からの解説では、アメリカにいた頃のジョーはだらしない生活をして、いつも母親から叱られていたので、その驚きようは理解できるとのことでした。
そんな風に親御さんが驚く位、その後の彼は居合に熱中していきました。

稽古の無い日は、ホームステイ先の庭で素振りをしていたそうですが、その庭が沿道に面していて通行人が何人も立ち止まり人だかりを作っていたという話も後で聞かされました。

稽古の日には、時間通りやってきて日本人となんら区別無く夢中で練習している姿には感心しました。
それ以上に、彼を稽古場所まで送り稽古が終わるのを待つホームステイ先の御家族にも感謝の念が尽きない思いでした。

稽古の合間には、彼の普段の生活の事を聞くことが出来ました。
同じ高校にガールフレンドがいて日本人女性のナイーブさやチャーミングな面に惹かれているとか、同級生にはアメリカに行った事も無いのに、ネイティブな発音ができる生徒がいて驚いたとか、高校では当初剣道をやってみたけれど教え方や練習方法が好きになれないとか、書道や日本の楽器に触れるととても心が落着くとか。

彼は半年後の7月に帰国しましたが、この間彼は居合道を通じて居合の試合を経験したり、名のある刀匠を訪ねて日本刀の作刀を見学したり、試斬も少しだけ体験しました。
彼の稽古姿が西日本新聞に掲載されたことも喜ばしい出来事でした。
また県連会員の方々も十分なコミュニケーションができなくとも、暖かく彼に接したことが彼にとっては良い思い出になったようです。
 
帰国に際して、県連行事の中で彼へのささやかな壮行会を開きました。
帰国後について彼に聞いてみると、彼の父親がアメリカ空軍の少佐なので自分も大学を出てパイロットになりたいと言っていました。
日本で学んだ事はアメリカに帰っても学び続けたいと笑顔で語ってくれた事が印象的でした。

帰国後数ヶ月して彼は、アメリカの大学に入学した事をメールで教えてくれました。
それから時が経った2003年のある日、彼から突然メールが来て大学の体育館で今でも居合の稽古をしていると連絡をくれました。
多くの学生が彼の稽古している姿を好奇の目で眺めている様子が見えるようです。
アメリカで稽古をしている彼の表情は、今でもキリリと引き締まっているのでしょうか?
いつかまた再会できる事を願っています。

マレーシアという国に仕事で良く出掛けます。福岡から直行便で6時間、時差は1時間、1年中ブーゲンビリアの赤い花が咲き乱れる熱帯の美しい国です。

空港やホテルなどの公共施設では、これでもかと言わんばかりに冷房を効かせているので、屋外では熱射で汗だくになり、屋内では寒くて上着を羽織るといった両極端な生活が続きます。

この国には在留邦人向けに「日馬新聞」と「南国新聞」という新聞があります。
ある日何気なくホテルで「日馬新聞」を読んでいると日本刀の写真が掲載されていて記事には、現地の人が戦後から大切に保管してるもので刀にしては刀身が柔らかく横に振ると簡単に左右に撓(しな)るとの事、鍔(つば)もついていて見るからに日本刀のように思えるが誰か知っている人がいれば教えて欲しいと書いてありました。

鍔(つば)をみると小ぶりで直感的に軍刀だとわかりました。日本軍の軍刀はシンガポールやタイの博物館に行けば必ず目にします。
東南アジアの人達は今の私達に露骨に戦時中の日本軍の所業を話すことはありませんが、彼らの身近な人達が日本人の手によって害を受けた歴史は決して忘れない決意があることを私達は多くの場所で教えられます。

早速私は、持参していたノートパソコンで「日馬新聞」編集部へメールを送りました。
要約すると以下の3項がメールの内容です。

1.写真の刀は旧日本陸軍軍刀と思われる事。多分、鍔元には検査刻印があるはず。

2.刀身が柔らかいのは、太平洋戦争末期に鉄が不足してまともな軍刀が作れず、トラックのスプリング鋼材をプレスで打ち抜いて研いだものだからと思われる。
粗製濫造品ではあるが、当時は良く斬れる軍刀だった。

3. 美術品としての価値は無いと思われる。

暫くしてこのメールの文書は、編集者(日本人)の手で修正後記事となりました。
編集者から投稿記事のお礼状を頂きましたが、その中で保管している現地の方は数十年もの間この刀を大切にされていて、いつか持ち主に返したいと思われていたそうです。
日本の大使館などにも問い合わせて見たものの相手にされなかったといいます。
しかし、半信半疑だった刀の姿が分かって良かったと感謝されていることを聞き少しばかりの安堵感を覚えました。

すべての連絡はメールで行なわれましたので、この刀を保管されている方や編集者の方にお会いすることは出来ませんでしたが、この編集者のマレーシアとその国に住む人達を愛する凛とした姿勢をメールの文章を読みながら感じておりました。

ここにも立派な日本人がいる。 そう思う出来事でした。

私達は、居合道という接点で集まっています。
会員はそれぞれ年齢も仕事も育ってきた環境も何ひとつ同じではありません。 これらの人達が小さな接点で集まろうとするのは、居合道の修練に魅力を感じているからに過ぎないのですが、この魅力には居合という技術の修練だけでなく、それを伝承させようとする教え方にも人を自然に集める香華があるように思えます。

一例を揚げると大刀洗支部では、新入会員も古参の会員も互いに先生と呼び合います。
本来ならば称号をもつ者が先生と呼ばれ、それ以外の一般の剣士とは一線を画すところですが、大刀洗支部では初代支部長のM先生の発案で「例え新しい会員の方でも居合道を通して私達が学ばせてもらうところが必ずあるから、我々は敬意を払いお互いに先生と呼び合おう」となりました。
新しい入会者はいきなり先生と呼ばれて少しばかり戸惑う様ですが、ここに一つの居合道としての答えを見る事が出来ます。

それは、人は居合道の中で修練しつつも決してその入り口に立とうとする人へ敬意の念を忘れないという点です。
そしてその姿勢を持続させることで指導方法も「教える」のではなく、「育てる」にその質が変わる事を多くの人が気が付くのです。

幕末から明治にかけて活躍した西郷隆盛は、不遇の頃でもその後に栄達した後でも子供達に接するときは、敬語を使い正座をして身を整えて話をしたといいます。
後年、西郷隆盛に接した人の述懐では、「何を話したかは忘れてしまったが、幼子にも背筋を伸ばして接して下さったあのお姿だけは今でも良く覚えている」と言われるほどに、言葉よりも人に接する姿勢が子供の心にも鮮明に映し出されることが、このことからも良くわかります。

人ひとりを育てることは決して簡単ではありません、しかしながら周囲の人達が、その一人を大切にするという姿勢にあれば、豊かな土壌の中の種として、やがては芽を出すことは容易に想像できます。

ラグビーは15人のチームが一丸とならなければ勝利することが難しいスポーツです。それゆえに古くから「一人は皆のために、皆は一人の為に」という言葉があります。この言葉の中で育まれた少年は身体もその心も立派な大人に育てられ、そして彼らもまた社会の一員として活躍をし、やがては一人の少年を育てるのです。
このことは一つのサイクル(周期)として、育てられた人が新たに人を育てるという無限の連鎖を感じさせます。

前川原支部では、「やって見せ、言って聞かせてやらせ見て、褒めてやらねば人は動かず」という旧日本海軍大将 山本五十六の言葉を大事にしています。
これを聞いて軍国主義者のように訝(いぶか)る方もおられるかもしれませんが、人ひとりを育てるには育てられる人よりも育てようとする側に何倍もの情熱を持って注ぎ込む熱意を忘れてはならないという純粋な気持ちが言葉を実践する中にあります。

人を育てようとするところには「新しい発見」や「新しい気付き」があり、そしてその一人を認めようとする承認の姿勢があります。
それらは高邁な哲学や理想などから派生するものではなく、人ひとりを大切にしようとする純粋さが人の心の何処かに響いて共鳴するからに他ならないと思っています。

「人を慈(いつく)しみ、己に厳しさを忘れず」

これが戸山流居合道を修練しながら、私達が心に留めて大切にしている事です。

居合に入門して長く不思議に思っている事がありました。
それは、悶え苦しんでいたと表現するほうが真実に近いかもしれません。
稽古の時には思う存分に自分の演武ができるのに、いざ試合となると心臓の心拍数は上がり、足は震え、ガチガチに硬くなり身体が金縛りになったように動くことが出来ないのです。

入門当時は、先輩諸氏から「誰でも経験する事だから場数を踏むことだ」とアドバイスを頂きましたが、何度試合を経験しても一向に改善できず試合が終わるたびに「これが自分の弱さか」と自問することばかりを繰り返していました。「求め続けているといつかは光明を得られる」という言葉のみを信じて「心の研究」をしてみることにしたのは入門から5年を過ぎた頃からです。

「スポーツ心理学」や「メンタルトレーニング」といった書物をひたすら読み漁りましたが、どれも自分に当てはまるものを見つけることは出来ませんでした。
心の研究を始めて1年を過ぎようとしていた頃に人の能力を引き出すコーチングという技術があることを知りました。人の内面に問い掛けを行なう事で個人のパフォーマンスが上がるというキャッチフレーズに吸い込まれるように多くのセミナーや勉強会に参加しました。
ある日のこと、日本コーチ協会から頂いたメールマガジンに福岡支部長のコラムが掲載されていて、その中にまさに私自身が求めていた「緊張する心のメカニズム」に関する記載があったのです。

そのメカニズムとは、1972年アメリカのW.T.ガルウエイ著「インナーゲーム」という理論を基にしたもので、人の心の内面にはセルフ1と呼ばれる常に身体の安全を守ろうとする存在と、セルフ2と呼ばれる喜びに満ちて好奇心に向かい身体活動を行なう存在があり、これらは2つの人格とも言えるべきもので、それぞれに役割が決められているという理論です。

セルフ1は神経質で、常に否定的な呼びかけを起こします。「そんなことできる訳が無い」、「失敗したらどうする」といった緊張を発生させる役目をもっていて口うるさい母親のように環境や行動の変化に対して慎重であるような心の動きを発生させます。もちろんこれは人間が持つ防衛本能の表れであり、自分自身を守ろうとするために重要な存在です。

一方のセルフ2は新しい事や興味のある事には積極的に行動を起こそうとする役目を持っていますが、セルフ1がセルフ2よりも指導的な位置にあるつまり試合などで緊張を起こしているのはセルフ1であり、セルフ1が神経質に否定的なおしゃべりを繰り返している間は、セルフ2が萎縮しているという構図になります。
また、同様に慣れた環境でいつもの稽古をしている時にはセルフ1が黙っているのでセルフ2が自由になり、存分に自分の能力が発揮されるのです。

この仕組みを理解すると、試合などで緊張しないためにはセルフ1を黙らせる事が重要であることに気付きます。 そこである日実験をしてみることにしました。
狙いは、試合の前に充分にセルフ1におしゃべりをさせることでセルフ1を沈静化させ、セルフ2にもおしゃべりをさせることでセルフ2を発展させることを目的とします。

先ず事前にセルフ1にしゃべらせる質問を3つメモに書いて、その後セルフ2にしゃべらせる質問を3つメモに書きました。このメモを試合当日の朝に家族に頼んで読んで貰いました。これはセルフコーチングと呼ばれる手法の一つで自分の考えた質問を自分自身に与え、自分自身が声を出して感情も出して答えるというものです。

セルフ1にしゃべらせる質問は、これから始まる試合に対する不安は何かという質問で1、2、3と進めながら不安に思っている事を具体的な視覚イメージにして行きます。次にセルフ2にしゃべらせる質問は今日の試合がどんな風に終わることができれば良いかという質問で1,2,3と進めながら理想と思うイメージを具体的に語らせます。
この質問を自分で答え終わって直ぐに身体が軽くなる感じがありました。
そして試合を迎えましたが自分では驚くほどに緊張の度合いは低かったと思います。
少なくともいつも私の中で騒いでいたセルフ1はつぶやく程度までに抑えられ私のセルフ2が活き活きと身体を動かしてくれたと感じられます。
そして、この試合では存分に力が出せたという実感を得ることが出来ました。

私自身改めて思うことですが、居合を通して多くの体験があり、そこには新たな気付きがあり、それを克服する喜びが得られることに改めて感謝している次第です。

本件について興味やお問い合わせ等ありましたら御気軽にメールを下さい。
 
            事務局山口 宛 ->

現在、新たな段階に直面しています。基礎居合の形の数は僅かに8本でありながらその1本1本が奥深く、それぞれ習得するにも時間を要する事は既に記述している通りです。
一般の方から見れば「何故そんなに時間が掛かるのか?」と思われる事でしょう。
私も入門時に見せて頂いたビデオの印象は、「透明な海ほど浅く見える」と言われる事と同様でした。  つまりそれは「簡単そうに見えた」のです。

ご経験のある方ならば直ぐにお分かりになると思いますが、純粋に透き通っている海は、その外側(陸)から見るととても浅く見えるのです。しかし実際に潜ってみるととてつもなく深い事に驚かされてしまいます。
それと同じ経験を居合道の中で感じています。

その一片をご紹介するとすれば、刀の振り方にもその世界が存在します。
「正面斬り」と呼んでいる基本的な斬り方(単純に振り上げて正面に斬り下す)にも、その業前が透明(一般の方からは見えない)であるが故にその深淵たるや海中の世界と同様のものがあります。
なぜなら、この世界は言葉で表現しにくい体感の世界であるからです。

刀を振るという単純な動作にも階梯があり、「初心者は腕で斬る、その次は背中で斬る、そして最後に腰で斬る」と言われている通り、初心者と熟達者では大きな違いが存在します、先に階梯と表現したように最初は両腕の力で刀を振ろうとします。その為に刀を振りかぶりながら左足を先に踏み出し、次に右足を前に踏み出して、その右足を固定した後、斬り下ろしをするのです。

これは腕の力に自信のある方ならばある程度早く身に付く刀法です。
この刀法は見た目にも早く振れている様で一般の方にも「凄い!」と言って貰えると思います。

しかしながら武道としての観点から見ると、下半身と上半身の動作が一致せず腕で刀を振るために下半身を先に動かしているだけに過ぎません。また右足を固定して刀を振り下ろすならば、すでに動作の予兆を敵に気付かせていることになり、その刀の斬り付けは、相手からかわされ易いということにも繋がります。

中級者はこの不具合を超えて、腕の力を極力頼らず背筋の力で振り下ろす事が出来るようになります。
これによって下半身の動作と上半身の動作を一致させることが出来、おおよそ右足のタイミングも初心者のそれと比べれば速い動作となりますが、未だ不十分な点は右足の踏み込みと斬り下ろしのタイミングが一致しないことと、背筋で刀を振る場合に現れやすい上半身の大きな揺れ、古流では反身(そりみ)という動作になりがちになる点です。

私自身が、この文の冒頭で「新たな段階に直面している」と申し上げているのは、これからの私自身の階梯を仰ぎ見ると、やはり上級者(熟達者)に近づくための新たなリセットが必要と思っているからです。これまで刀を腕で振ることから背筋で振るに至るには、手の先から足の先まで諸所の体の運動を一旦捨て去ることが必要でした。
それと同じ事をもう一度しなければならないと思っています。

目指すべきところは「腰で斬る」という一語に尽きます。そこに近づく体感はこれまでの階梯をたどりながらゆっくりと根付いてきた実感があります。一旦身に付いたものを捨て去ることは簡単ではありません。しかしながらどの武道にも言えると思われるのは体感という内面だけを残して、昆虫や動物が脱皮するように外観を捨て去ることがその階梯を上る唯一の手段と考えるからです。

武道の言葉に「居着き」という言葉があります。これはひと所に立ちすくみ動きが取れない状態を言い、特に「体の居着き」よりも「心の居着き」に警鐘を与える言葉です。
体や心が居着くことはある意味「自身を捨て切れず固着する」事に繋がります。
即ちそれが階梯を中途のものにして個癖と呼ばれる錆(さび)を身に付着させることに至ります。

今回のテーマである「腰で斬る」ことの体感は未だボンヤリとしていてハッキリではありません、多分に今思うことは上半身を脱力させ刀を柔らかく振りかぶりながら左足の踏み出しと同時に腰を一瞬緊張させ、この緊張が上半身を通して刀を振る力として伝わるのではないかと推測しています。これまで腕や背筋など上半身を使った刀の振り方から、下半身で刀を振るという私にとって大転換になるのですが固着する事を恐れずに自身を捨てて大きな試行錯誤を行なうつもりで居ります。
これにはどれくらいの時間が掛かるかは分かりませんが、ある程度その体感を文書にできるレベルに達したときには再度お話したいと考えております。

このホームページを公開してそろそろ1年を迎えようとしています、その間北は北海道から、南は沖縄まで様々な方々からのメールを頂きました。
日本の何処かで誰かが興味を持ってこのホームページを見に来て下さることに改めて感謝している次第です。

今年の3月には日本に滞在していた英国人のジェシカさん(大分県連湯布院支部会員)にお願いをして居合道と戸山流の説明を英訳して頂きました。
これは日本国内に滞在している外国人を含めて外国の方々にも日本武道の紹介ができたらという思いでお願いしたのですが、ジェシカさんから快諾頂きその作業も難解な日本語であったにも関わらず僅か2週間程度で英訳を完了してくれました。そして、その英訳をこのホームページに掲載したのです。

その僅か3ヵ月後の2004年6月のある日、南米チリの武道家からメール(英文)が届きました。 
その人の名前はパウロ・オギノ氏、ご職業は建築家で夢想神伝流居合道をチリ国内で修行されている方です。
その最初のメールによると英文のホームページで戸山流の紹介を読んでとても興味を持った、9月に東京に行く機会があるので是非戸山流を見学したいとのご希望でした。

またパウロ氏は東京で戸山流は見ることができるだろうかとのお問い合わせも頂きましたが、あいにく東京には当連盟の支部が無いことから一番近いと思われた長野県連に連絡してみました。長野県連からも快諾頂きましたが果たして東京から長野までパウロ氏は行くだろうか?という心持でパウロ氏あてに長野県連にて応対させて頂く旨返信したところ、かのパウロ氏も大喜びで来て下さるとの回答を頂きました。

その後十数回に渡るメール(英文)のやり取りが今でも続いております。
そのやり取りの中でチリの人達には日本の武道に対する関心が非常に高く居合道や合気道がさかんに行なわれている事を伺い驚くばかりでした。
あるメールの中で私は「日本の武道とは武器を携えた業(わざ)や人を倒す業を身に付けることが本来の目的では無く、自分自身に対する厳しさと人に対する優しさを持つことがその本質と信じている」と伝えたところ、触発されたように次のようなメールを下さいました。

Hello Hideaki san!

Thank you very much again. Yes I also beleave there is an inner harmony we develop in the martial arts, following the Budo. I do not practice aikido, I'm iaidoka only but I understand the search of peace and harmony.
I think it will be a ver interesting meeting we will have in Nagano, I hope to travel to Fukuoka and meet you. My schedule is tight but I think I could travel to Japan another time and go to Fukuoka.

If there is a translator it would make things easier, but if not, I think we can manage to cummunicato somehow.

I'll wait for your e-mail. Thank you very much again.

Best regards,

Paulo K. Ogino A.
Architect


この文章にあるインナーハーモニー(inner harmony)という言葉に私は心を強く打たれました。これは私も知らなかった言葉でしたが和訳すれば「心の調和」といった意味と捉えています。
彼もまた、武道を通して自分の内面を磨く事が本質であることを理解しているのです。

日本からみれば遥か何千キロも遠く離れた地球の裏側の南半球の国の中に、武道を嗜(たしな)み、ひたすら刀を抜きながら内面を磨く事に心を向ける武道家がいるということと、日本語は分からずとも武道を通して日本に対する深い敬愛の念を抱いている人がいることを知り得て出会いの妙を感じています。

また、この様な機会を得るまでに頂いた多くの皆様のご協力が一つの出会いを導いて下さったとも考えております。大分県連のジェシカさんやサポートして下さった湯布院支部の皆様、また今回9月に戸山流をチリの皆様に紹介して下さる長野県連の皆様にも改めてこの場を借りて御礼申し上げます。

私は数学者ではありませんが、インターネットを通してこのような出会いに恵まれる確率は如何程でしょうか?
今回の訪問に私はパウロ氏にお目に掛かる事は出来ないのですが、文面にあるとおり、次回日本に来られるときには福岡までやってきて私に会いたいとおっしゃってくれています。そのパウロ氏の積極的な姿勢には驚くばかりですが、近い将来に実現することを私自身も楽しみにしております。

戸山流居合道 福岡県連 事務局長 山口秀昭

時折、ビデオカメラを使って自分自身の形(かた)を点検しています。
特に大きな試合を目の前にしているとき等は、欠かさず行なっています。
普段の稽古で自分なりに出来ていると思っていても、モニターに映し出された自分に、足りないもの、間違った動作、タイミングの変化を発見してしまいます。

この自ら発見する事とは別に、段位の高低に関係なく色々な方々にも出来るだけ見て頂き、自分の気付いていない部分を指摘してもらうようにしています。
ある日、一人の中学生(初段)に私のビデオを見てもらいました。
すると彼はビデオモニターに視線を合わせたまま気付いた事を次々に言い放ちます。

1.一の形の時の初発刀は早すぎると思うよ。

2.二の形の水平斬りが高いのは初発刀の時、柄が上がり気味だからじゃない?

3.三の形の初発刀での頭の回転が遅いよ。そのために突きが遅くなってる。

4.四の形の初発刀の後、上体が浮きやすくなってる、もっと沈めなきゃ。

5.五の形の初発刀抜様が高い位置での動作になりがちだよね、低い動作にすると突きも低くなるよ。

6.六の形の最後の斬降ろしのときに、上体がバウンドしてるみたい。

7.七の形の最後の斬り付けは刀が上がりすぎだね。

8.八の形の最後の斬り付けで上体が前傾しているね。

確かに彼の言っていることは私が気付いていない点でした、「いやー参ったな」と私が言うと「基本が大事だよ」とそつなく言われ「それからさぁ、何か間延びしてない?」と逆に聞かれてしまう始末です。

「自分で確立している筈」と思っていたことが、いつも基本ばかりをやらされている子供から逆に指摘を受けたことで眼が覚めたような思いでした。

それを聞いて、何度も自分のビデオを繰り返して見ていると指摘された諸所の動作の不具合に納得したのですが、しかしあの「何か間延びしてない?」という部分について解決策が浮かびません。
数分間考えた後に思い起こしたのは、かなり以前にある先生から「後足の引き足を早く」と指導を受けたことを思い出しました。

それは、初発刀の後に敵に追い討ちを掛けようとする時、後ろ足の運足を早くすることが「間詰めのポイント」だと聞かされていたのです。
この事をヒントに後日もう一度ビデオ撮影をしてみました。
前述の指摘事項は元より、各形(かた)の運足に気を配りながら再度自分の姿を点検してみると意外な事実を発見したのです。

それは自分自身では「引き足を早くしてみたつもり」でしたがビデオの中の姿からは、引き足の部分の速さはそれ程早く感じられなかったのに、それでも不思議と「間詰め」のタイミングは早くなっていたのです。
多分それまでの運足と比較すると後足を引くスピードは0.5秒程度しか早くなっていないと思われますが、この0.5秒ほどの時間が次に移る動作に反映された時、意外にも早く見えることがこの事から理解できました。

高段の先生方の「間詰めの妙」は、こんな小さな動きも無駄にしていないという点に改めて気付かされた思いをしています。

後日再度撮影したビデオテープを先日の中学生に見せたところ、今度は、全ての形(かた)が終了するまで無言で見つめていました。
そして見終わると私のほうを向いて「変わったね、早くなったよ」と言ってくれました。

私は笑顔で「ありがとう」といいつつも内心「どっちが先生だ?」と呟いておりました。


2004年の12月に東京へ出掛ける機会がありました。
仕事に忙殺されながらの出張であったために旧日本陸軍戸山学校の跡地が現在新宿区の戸山公園として残されている事を思い出したのは羽田に向かう機内でのことでした。
早速スケジュール帳を出しながら何とか2時間の時間をひねり出すプランを立て、その2時間のために数日間は仕事に没頭し念願の日を迎える事が出来ました。山手線に乗り新大久保で降りて東にトコトコと韓国語や中国語を耳にしながら歩き明治通りを過ぎると左手の方に紅葉の盛りを過ぎた木立が見えてきました。

公園は変則的な地形となっていて周囲は団地や住宅に囲まれ遠くに隣接する早稲田大学の学舎からはスポーツをしているような学生の歓声が僅かに聞こえています。
土曜日の早朝でしたので手にバットを持って野球のユニホームを着た少年や散歩している老人、公園の落ち葉を掃除している近所の人たち、よく分からない?不思議な人などが通り過ぎて行きます。

多分この人たちはここが旧日本陸軍戸山学校跡地だったなんて殆ど知らないだろうなと思いながら通り過ぎていました。
それに先ほどから公園に入ってきょろきょろと辺りを見回すのですが「戸山学校跡地」といった碑(いしぶみ)も見当たりません。
細長い緑地の中を東に向かい、朝日を浴びた赤い椛(もみじ)の木を右手に見ながら歩を進めると前方に小高い丘が見えて来ます。
そこは森のように木々が密集していてその奥に教会の建物が見えました、「ここが箱根山かあ」と思いせっかく来たのだから一番高い頂上まで登ってやれとばかりに螺旋状の道を登っていると、陽の当たらない木立の下に何やら石碑のような大きなものとその傍にポツンと小さな碑らしきものが眼に入りました。

それらの碑は頂上に対して背を向けているので何の為のものかは定かではありません、一旦頂上に登り「戸山の中心で居合を叫ぶか」と呟いていたら、傍に座り込んで何やらよく分からない?不思議な人がいたので遠慮しました。
大きな背伸びを一つだけして先ほどの石碑のところに下りてみると「戸山公園 陸軍戸山学校跡地」という碑文が刻んであります。「これだあ」とばかりに駆け寄り長年の風雨に晒(さら)された碑面に手を掛けてみました、その横にある小さな碑には昭和44年にこの碑が建立されたこと、この碑は旧日本陸軍戸山学校に縁(ゆかり)ある有志にて立てられたこと、更にはここが尾州徳川家の江戸屋敷跡地であり、明治6年陸軍兵学寮出張所としたこと、明治7年から正式に陸軍戸山学校とされたことなどが書かれています。その碑文もところどころで長年の風雨のために朽ちていて時の移ろいにも耐えながら当時を伝えようとするこれらの石碑に傾頭の思いでした。

体操帰りのおばあさん2人が私を不思議そうに眺めながら通り過ぎて行きます、人もめったに行き来しないような暗い林の中で誰も興味を示さないような石碑を見つめながら「ふーん」と呟いていたり、「そうかあ」と声にして携帯電話のカメラで写真を撮っていたりしているスーツ姿の中年男性がしている様は、まるで少年が昆虫採集で見つけた虫を捕まえて吟味しているような様であったのでしょう、もしかしたらそれまで見かけていたよく分からない?不思議な人達の一人と思われていたのかもしれません。

見上げてみると冬の日差しが快く辺りを射していました、100年ほど前にここで日本刀をもって実戦を研究していた人達の歓声が木立の中で風に乗って聞こえてくるようです。第9話でお話した戸山学校教官 津田教修もこの地でこの箱根山の木々を見つめていたのかもしれません。
歴史の重みを感じる経験でした。

恥ずかしながらつい最近まで試斬をする度に自分の刀(真剣)を曲げていました。
試斬とは台上にある巻き藁を真剣で斬ることを指します。
ぐにゃりと曲がるその感触は今でも手元に残っています。
何回かは上手く斬れるのですが、調子に乗っていると巻き藁に食い込んだままとなり、引き抜いてみればやはり曲がっているのです。

ゴルフでもそうですが、スコアが悪いと道具のせいにしてしまうのは私も同じでした。「この刀は斬れん」そう思っていたのです。
そんな言い訳をしながら「いや、何か自分に理由がある」と薄々は感じていたものの自問しても答えの出ない時間が長く過ぎていました。

2004年の大晦日、ある古刹のお手伝いで鐘楼にやってくるお客さんの接待役を仰せつかり、沢山やってくるお客さんに焚き火を炊いたりミカンを配ったりして慌しく働いていると私に声を掛ける人がいます、その人はもう25年近くもこの寺の鐘楼を毎年お世話にやってくる年配の男性で、その白髪から私の父くらいの年齢と思われました。

「そろそろお客さんも途切れた頃だから、私らも鐘を突きましょう」と誘われるまま年代を感じさせる木造の屋根のついた鐘楼に二人して上がって行きました。
その人は自分が鐘の傍らにすわり私に「鐘を鳴らしてみなさい」というのでした。
「最初はね、自分の好きなように鳴らしてみるといい」といって私を鐘突きの前に座らせじっと私の仕草を見ています。

私は高さ約1m、幅約60センチの小ぶりな鐘を前にして「これくらい簡単に鳴らせる」と心中思いながら大きく鐘突き棒を後ろへ振り込み、そして力任せに打ち込みました。
「ごわーん」と耳も痛くならんばかりの音がして、これには傍らの年配の男性もしかめた顔をされてこう言いました「今のは音が割れているね、鐘はその形に合わせた突き方があるんだよ」といって私と場所を変わり、今度はその人が突いてくれました。

今度は静かで重々しい「ごーーん」という心地よい音が周囲に溶け込むように広がりそして消えていきます。

「もう一度やってごらん、今度は鐘に合わせるつもりで鐘突き棒をぶつけるという気持ちは捨ててみなさい」と言われ、私は今度は鐘の音を探るようにゆっくりと棒を振り込んでみると若干弱弱しさはあるものの先ほどの静かな「ごーーん」に近い音がでるのを確認できました。
年配の男性は笑顔を一杯にしながら「鐘は楽器と違って強く叩けば高い音が出るっていうしろものじゃない、打つ人が調和して初めて優しい音色を出すんだよ」

この光景はまるで門前の小僧が和尚さんに諭されているような光景でありました。
このとき私は気付いたのです、試斬の時に刀を曲げたのは刀を巻き藁に対して力で叩き付けていたからであり、刀の力を信じてさえいれば無駄な力だったということを。

その後、暫くして巻き藁を切るチャンスがやってきました。
私の頭の中には昨年末に経験したあの鐘楼での光景が蘇えってきます。
今度は刀を信じてみよう、右手の力を抜いて左手で刃筋を一定にすることだけを一心に思い、気持ちを落ち着かせて一本の巻き藁の前に立ちました。

何も考えずに刀を振りかぶり、思いの通りに振り下ろしてみると「サクッ!」と巻き藁はゆっくりと斬れて落ちていきます。今までの感触とは明らかに違っていました。
右袈裟、左袈裟、逆袈裟、水平斬りなども試してみましたが台が大きく揺れることも無く思いのままに斬れて行きました。

斬った巻き藁に一礼した後、刀の手入れをしながら、あの古刹の鐘楼と年配の男性への感謝の念がいつまでも尽きず、冬の終わりに未だ自分が未熟なるを思い知った次第です。

2005年3月より戸山流居合道福岡県連盟のボランティア事業として軽度発達障害を持つ児童をサポートする「誠心塾」の活動を始めています。

そこに至るまでには約6ヶ月間の時間を要しましたが、ある偶然の出会いから話が進み多くの人達との出会いから現在に至っています。

その経緯をお話しすると長くなるので短く紹介させて頂きますが、埼玉県のNPOえじそんくらぶ代表 高山恵子氏(臨床心理士)との出会いから発達障害専門医 久留米大学医学部小児科学教室 山下先生へと繋がり、更には鳥栖市親の会「夢気球」山内先生のご協力を頂く様になりました。

軽度発達障害とは幾つかのジャンルを包含しています。
LDと呼ばれる学習障害、ADHDと呼ばれる注意欠陥多動性障害、アスペルガーという呼び名で代表される高機能自閉症などが総称して軽度発達障害と呼ばれています。

これらの障害を持つ児童は100人中6、7名と高い割合で発生していて、欧米と比較して日本では未だ充分に社会的な対応が進んでいない現状があります。

2004年11月にNPO法人えじそんくらぶ代表 高山恵子さんにお会いしてこれらの現状を伺うことが出来ました、大刀洗支部の稽古も御覧頂きながら彼女が話してくれたお話の中で印象的だったことが二つありました。

1.現在の日本では療育方法を欧米に視点を向けているが、日本に元からある禅や武道等の文化が、これら発達障害をもつ児童に効果があると考えている。
  既にアメリカや韓国では早い段階でこのことに気付き実践がなされている。

2.軽度発達障害を持つ子供達は、家でも学校でも怒られてばかりいる。
  その子供達にはマイナス面もありながらそれを補えるプラスの面を持っているのでそれを認め育てる出会いが少ない。

このお話より、戸山流居合道ならば立ち居合であることや、シンプルな形(かた)の構成で子供でも無理なく参加することができる事から、これら子供達にも役立つのではないかと考えました。

高山先生は「良く見かける指示命令・叱責型の指導よりも褒めて育てるセラピーとしての武道というものがあっても良いのではないでしょうか?」と言われていたことが今でも 脳裏に残っています。

これらを一つのプランにまとめたところ福岡県連会長、福岡県連理事長には充分にご理解を示して頂き、更には戸山流居合道連盟本部会長のご承諾を頂くことが出来ました。
「誠心塾」の命名は県連理事長 門川先生より頂きました、その意味するところは字の如く「言ったことは必ず成す気持ちでやり遂げる」を表しています。

2003年3月から7月初旬までにやってきてくれた児童は延べ49名に昇ります。
はにかみながら恥ずかしそうにやってくる初めての子供達も、木刀を振りながら楽しそうな表情へと変化します。
「誠心塾」では子供は怒られることはありません、むしろ小さな事でも良かったことは褒められます。
良く観察しなければ見過ごしてしまいやすいのですが、褒められた時に一瞬ながら子供の瞳が大きく開いて輝く瞬間があります。
そのときの子供の表情はまさに快感といったような何ともいえない喜びを表情に表してくれる事に気付きました。
このことがどれくらい彼らの為になっているかは分かりませんが、少なくとも彼らの長い人生の中で戸山流居合道との接点があり、何らかの形で彼らの人生に良き影響を与えることができるのであれば是に勝ることはないように思えます。